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昭和58年 九州大学入学。
母子家庭のため家計に余力がなく、
学費の安い国立大学で、
かつ学生寮(寮費が月額1,000円!)しか選択肢がなかった。
司馬遼太郎『竜馬がゆく』全8巻だけ持って入寮。
そしてそこで学生運動にのめりこみ、福岡県の責任者になる。
まだ元気な頃のソビエト連邦へのあこがれと、
小田実著『何でも見てやろう』に影響を受け、
大学を休学してシベリア鉄道に乗り込み、
その後1年にわたって世界を放浪した。
世界中のビンボウ旅行者の宿を転々とし、
そこでビンボウ旅行者英語と同スペイン語を覚え、
移動はヒッチハイクかローカルバス。
1年間のうち風呂に入ったのはモスクワで1回だけ。
ペルーでは2回ドロボーに遭い、
1回強盗に遭った(全部逃走して何を逃れた)。
ロンドンではカール・マルクスの墓参りをし、
ボリビアのサンタ・クルースにまで行きチェ・ゲバラに花をささげた。
日本を出るときの所持金は100万円。
心細いので10万円を彼女から借りた。
(その彼女が今の妻。
従って今でも頭が上がらない!)
それでも、途中で足らなくなり、
ロンドンでアンティークを買い付け、
メキシコでマッサージ師、
コロンビアで大道芸、
香港で日本語教師など、
思いつく限りのこをして、
小銭を稼ぎつつ、
旅を続けた。 結局これで1年間乗り切った。 人生、何とかなるもんだ、ということを学んだ。
昭和63年 帰国後、
日本で一番保守的な会社を体験しよう!と決めて、ある鉄鋼メーカーに入社。
人事・経理担当の事務職としてサラリーマン生活を9年送った。 大企業は案の上息苦しく、
平成9年カタカナ生命保険会社に転職。
一人で行動するフルコミッション営業に無茶苦茶向いている自分を発見、
法人企業・巨大労組等を顧客にして3年で年収4,500万円に到達、
在職中に3億5千万円のコミッションを稼ぐ。 平成17年 仲間と独立。
総合保険代理店全国ネット創設に参画。
京都に本社を置き、
自分は東京の責任者として組織をゼロから立ち上げ、
1年で全国トップクラスの火の玉営業集団に育て上げる
(ある保険会社の代理店3,500社中全国1位、
そしてその中で私の新組織が全国1位。
組織を会社ランキングにあてはめても全国7位)。
会社は現在粗利15億円社員数125名にまで成長。 同時に『経営者から本音を聞きだすヒヤリング術』のプロ講師として活躍、
主として金融機関向け講師を務める。
大手証券会社を複数クライアントに持つ。 その一方で、
ビンボウ旅行者時代に培った度胸英語を駆使して、
米国の業界に友人をつくり、
何度か渡米して米国流進化系金融ビジネス(IFA)を学び、
勉強会を仲間と立ち上げ、
日本での普及を目指している。
その目的のためベンチャー系投資顧問会社の執行役員も兼務。 設立3年目にして、 立ち上がった組織のマネジメントに自分が向いてもいないし、 好きでもないことに気づいて愕然とした。 そこで、相談役という職名を新設してもらい就任(月給5万円)、 自分の会社を設立して、代表取締役を兼務。 さあ何をやろうかと思案投げ首しつつ、 現在に至る。 |
◆株式会社ホロスプランニング(生命保険・損害保険乗合代理店全国ネット)
http://www.holos.jp/
◆キーストーンアライアンス(FP業界での起業グループ)
http://www.keystone-a.net/
「起きて半畳 寝て一畳 天下取っても二合半」
禅の言葉(だと思う)の一部。禅の修行僧は、昼には茣蓙(ござ)を半分に畳んでその上で座禅を組んで修行し、夜には広げてその上で寝る。
権力者になって贅沢を極めたとしても、一度に食える飯は二合半程度が精一杯。
人間が生きるなんてことは所詮その程度のスケールのもの。
「だからこそ、英大なことを目指そうじゃないの!」と僕は解釈している。
『大坪勇二ブログ』
◆起きて半畳 寝て一畳 天下取っても二合半
http://yuji-otsubo.seesaa.net/
「フォトリーディング」という「速読法」を学び、1日2冊ペースで読破。特に営業・セールス、マーケティング等ビジネス分野が大好きで、その数は2000冊を越える。
『フォトリーディング速読法』
◆フォトリーディング公式サイト
http://www.photoreading-japan.com/
『書評ブログ』
◆成功への道標は「本」にある!
http://s-samurai.seesaa.net/
『エピソード1 / 大学時代』
九州大学に入学。
というより学生寮に入ったようなもので、弊衣破帽の旧制高校ライフを満喫。
隣の女子寮にふんどし姿で入寮挨拶に行ったり、学生みこしで博多・天神の真ん中を練り歩いたり、コンパ帰りに大濠公園の大池に飛び込んだ。
当時つきあっていた彼女とそのまま結婚したので、今でもその気分を引きずっている。
『エピソード2 / 放浪期』(南米・北米・旧共産圏・アジアを廻る)
世界を放浪した先輩の話を聞き「僕もやりたい!」と即座に旅立つ。
シベリア鉄道により当時憧れだったソビエト連邦から陸路で欧州入り。
ドイツで政治集会に出掛けコール首相(当時)の演説にブーイングし、
ロンドンでカール・マルクスの墓参り、
キングスロードでアンティークを買い入れて日本へ送って商売し、
メキシコの大学に潜り込んで怪しげなスペイン語を習得、
ペルーで泥棒に2回・強盗に1回遭遇しいずれも(自分が)逃げて難をのがれる。
南米に耽溺し、
サンパウロで沈没状態。
かくして「発展途上国で生き延びること」が特技となった。
『エピソード3 /鉄鋼メーカー勤務時代』
入社以来9年間、経理と人事を担当。
適性のなさを痛感し、
毎年営業部門への転属を希望するが容れられず。
変化を求めて企業留学試験に挑戦したものの、
最終選考で敗退。
同情してくれた上司が商社との合弁会社に出向させてくれ、そこで人生が変わった!
人生って何がおこるか分からない。
留学生試験に落ちて本当に良かった!としみじみ思う。
『エピソード4 /カタカナ生命入社』
生命保険の営業、
日本ではまだ珍しかったフルコミッションセールス(歩合給営業職)に自ら志願して応募。
成果を挙げれば大いに稼げる反面、
サバイバルが非常に難しい仕事だった
当時は年間1,000人採用して、1,000人が退職していた。
ちなみに業界全体の平均在職年数は0.5年。
つまり、計算上は半年で、25万人の営業職員が全員入れ替わる世界。
それほど厳しいということ。
だけど、成功スパイラルにうまいこと乗れれば、こんな楽しい世界はない!
(ヤッホー!)